こういった事態になるのは誰だって予想だにしないし、だからコンビニではシャリ蔵を売る感覚で体験猥談のマンガたちが今日も売られていく。どんな昔話だって乗り越えていけばいつか笑い話になるのだろう。
だがそんなことを語っている時間は一刻もなく、はっきり言ってこの演奏時間内になんとか打開策を考えねばならないことは切実だ。
僕の隣には糸川さんが座っており、僕の手元のこのビニール袋を隠す場所がない限り、演奏後の転換時間にこの店を抜け出す方法を考えねばならない。
糸川さんと僕は同じ会社に勤めている、拡大解釈で言うところの同僚なのだが、一般的にいうと、同じ会社に勤めていることを互いに知っている程度の間柄である。(僕にはよく分からないことだが)糸川さんは音楽がとても好きで地元のフェスに行ってはライブを見ているらしい。
断っておかねばならないのは僕は糸川さん対し好意を寄せているということはなく、男女が2人出てきてしまった以上最低でも片思いでなければ耳を傾けない人間はさっさと家に帰るべきだとすら思う。アンドレ・ジイドだったかアントン・チェーホフだったか誰だか忘れたが、出てきた拳銃は撃たねばならないほど僕たちの自由意志はまだ死んでいない。
ではなぜ偏差値以上の女性に対し恋心も起こせない僕がここに座り、ビニール袋を提げているかというのは、とても入り組んだ事情があるわけで、話すととても長い。要約していかねば、この打開策を考える貴重な時間を一秒でも無駄にしてしまう。
単刀直入に言うと、僕は成人動画のレビューを趣味にしている。
男性の皆さんなら思い当たる節があると思うのだが、大手成人動画サイトのサンプル動画に対して真面目にコメントしている人たち、あの何を目的にしているかわからない志士の集まり、あの1人だと思ってもらって構わない。
もちろんこんなことは友人にも伝えてはいない、誰が何の得をするのか。何もない。
そもそもみんなはあのコメント自体も何一つ有益なものと感じておらず、ゆえにコメンテーターの存在にも何一つ有益に感じていないだろう。(こちらからすればお昼のヒトシやコージや竹山よりかはいいことを言っているつもりだが。)
趣味となってしまったからには仕方がない、いつからともなく5つ星で価値を見極め(わりに3.7がおおいのだが)、見所は手元のポストイットに書きつつり、その日見終わった30本のコメント欄を埋めていく。(30本以上まじめに見ると理性が飛び言葉が出てこなくなる)
バカみたいな話だが、これは大変な仕事だ。三分程度のサンプルを毎日30本見てコメントを考える。まさに大変な仕事だ。
要は僕は毎日成人動画サイトのコメントを書くことが楽しみにしているような人間なのだ。
正直この行為には全く何の価値もないと自分でも思う。あたりまえだろ、経済を何も発生させていない。だってサンプル動画しか見ていない。ぼくらのコメントを見て買う奴、見る前から買うつもりだったんだろ。
僕たちは支払いもしないで性処理もしないで言葉の消費だけ続ける。しかしその代価をもらうべき女優やスタッフのみなさんはどうなるのだ。そう、それを気づかせてくれたのは何を隠そう、糸川さんだった。
実は昨日、会社の飲み会がこの近辺の居酒屋で開かれたが、そのときも同じように僕たちは隣に座っていた。
(おなじシチュエーションの連続、このわざとらしい偶然は、まるで神さまと真っ赤なポルシェの百恵の差し金のようだ。)
僕はすぐ帰りたくて仕方がなかった。家ではノルマが30本も待っている。
隣の糸川さんは向かいに座った中年斜陽族にずっと質問攻めにあって、にこにこ返事をしていた。
「土日はフェスに行っているんです」
おじさんにはフェスが何か伝わっていなかった。
「糸川さんね、こんな細いのに、ヒップホッピン聞くんだって」
となりの布施さん(48歳女性)が明らかな間違いをしているのだけれど、これは年齢からくるものではなく、単純に本当にヤバイ人だからだ。
「なんだっけね、待受画像の強面の人の写真。柄シャツ着てる、ヒップホッピンモンスター」
糸川さんは仕方なさそうに2人に待ち受け画像を見せた。
「えー、これが?これ、全然ヒップホッピじゃないよね、タケダはどう思う」
ここにきてなんだが、僕は本当は武地なんだけど、布施は絶対覚えない。
ぼくは見せられた待ち受け画面のそのヒップホッピンモンスターにたいしコメントをした。
「あ、りょふ・・」
「あれ、武地さん知っているんですか?」糸川さんは急に目の色が変わった。
「ええ、一応、テレビとかでたまに見たことがあって。あまり詳しくはないけど・・・。ダンジョンのモンスターですよね」
「武地さん、フリースタイルみてるんですか?」
そう、ぼくはそんなもの見ていない。なぜ知っているか。
すごく簡単なことで、いま一押しのセクシー女優とフリースタイルで戦ってたし、毎週録画しているタモリ倶楽部に彼が出ていたからだ。
「意外だなー、タケダがホッピンね〜」と布施が相槌を打つ。
お気づきだと思うが48歳にしてこれほど間違ってる部分だけ繰り返すのはクソつまらない奴か、ヤバイ奴か、その両方だ。
「わーなんだ、それならもっと早く武地くんと話ししたかったなぁ。音楽とか聞くんですか?」
「あーー、たまにです。全然詳しくないけど。」
「ライブとかにも?」
「いや、そういうのは全然で。まあああ、Youtubeばっかで。」
「え、もったいないですよ〜!やっぱ生で見るとね、いいですよ。」
「はあ」
「フェスとかもいかないですか?音楽聞かなくても美味しいご飯のお店たくさん出ているし、友達とか増える気がするけどな」
「んだんだ、タケダは友達が必要だ」
「いや、べつに友達はいるんですけど。」
「そうだ、こんど蒲郡でまたフェスやるんですよ。行きましょうよ。偶然会えたらビールおごるから」
「はあ。いやあ、でも、まあ、なんかお金払うほど音楽好きじゃないし・・・」
「いやね、私もそう思ってただけどね。
でもね、やっぱ本当に好きなものにお金払えなくなったら、もうね、おしまいなんですよ!」
その場で衝撃を受けるほどの名言ではないと思う。
家に帰って12本目の大手素人ものメーカーの「フェスでガチナンパ」というシリーズ作品を見ている途中でこの言葉を思い出した。
「うん」と思った。
「うん、うん」と思った。
うんうん。そうか、ぼくは成人動画になんにも払っていなかった。払っている・・・のか。
通信費とか?アフィリエイト発生?あとは敬意とか・・・払っているのかな?
その日はノルマがあと18本のところで終わってしまって朝になるまで考え込んでしまった。
頭がまっしろになってベランダに朝日が差し込むと同時に決意した。「今日、買おう」
僕はまずは昼の12時まで昼寝して、出前一丁を食べると、いつもの動画サイトに行った。
でも今日のぼくはいつもとは違う。
コメンテーターではなく、「何を買おうか悩む若者」として一本を選ぶのだ。
その選ぶことの難しさ。
面白さは出演者の容姿だけで決まることはなく、スタッフのアイデア、カメラワーク、監督ごとに味が変わる世界観の徹底ぶり。僕は僕が今一番見たいものを悩みつづけ、何本見たかもわからなくなるほど再生、そして頭を抱えた。
「どうすればいいんだ・・・」目を挙げ、ふとある作品のコメント欄を見た。星、5つ。
「ナンパものとはいえ、その世界観の徹底ぶり。見たことあるようでない女優の選抜はまさに拍手。
このレビューで言葉を選んでいることすら虚しく、画面に映っているその情報だけに真実がある。
見ることと知ること、触れることはもしかすると全て一つなのかもしれない」
・・・・・・
なにを、いっているんだ・・・?
頭がおかしいのか?もしや俺たちはいつもこんなことをしているのか?
急に喉が渇きグレープフルーツジュースを一気飲みした。
見ることと知ること、触れることが・・・?
ここにきて困った言葉だ。なぜならこれは作品を確かめない限り、僕はその意味を知ることも、コメンテーターの価値を何一つ見極めきれず、はたまたお金を払うことの意味も、飲み会で糸川さんの隣に座った意味すらも見出せなくなりそうだった。
僕は立ち上がり、最寄りのDVDショップを調べると作品名をポストイットにメモし、カバンも持たずに家を出た。
奇しくもその作品が「フェスでガチナンパ」だったことは、カバンを持ってきていない後悔と共に店を出てから気づいた。
「これは・・・だれにも会うことができない・・・。」
ここで真っ赤なポルシェにのった百恵が偶然を仕立てる。そう、道端で偶然にも糸川さんに声をかけられたのだ。
「あれ、武地君。なにしてるの?こんなところで。」
まずい、と思った。
なぜなら音楽好きサブカル女は他人のビニール袋にすぐに興味を持つからだ。
ぜったいに見せられない、はやく話を切り上げるべきだ。寝不足の頭は急回転させるとギアを入れ間違え空回りしはじめた。
こういう若い女が入れない店に逃げよう。
「いや、そこの喫茶店に行こうと、ごめん急いでるので、また」と振り返り急ぎ足になる。
「あ、え、ブラジルコーヒー?私も。そっか今日のライブ行くんだ?やばい開演間近だよ!」
完全に裏目を見た時、男の顔には黒い汗が流れる。手に持ったビニール袋と同じくらい真っ黒な。
僕はいま糸川さんの横に座り、黒いビニール袋を隠しながら音楽を聴いているふりをしている。
糸川さんが好きそうな音楽だ、よく知らんけど。あ、糸川さんも携帯を見ている。興味ないのか。何が目当てなんだよじゃあ。お腹痛いふりして逃げようかな。でも曲の合間は明るいから逃げられないな・・・
「あと2曲で終わります。物販でCDも売っていますので、よかったらお願いします。
次の曲は素数という曲です。「将来娘が生まれたらという妄想」をいつか思い出すという曲です。
うまく言えないんですけど・・・見ることと触れることだけが思い出話になっていくのに、知ったかぶりや嘘はなんで思い出話にしちゃいけないんですかね」
こいつなにをいっているんだ・・・。こんなところで時間を費やしていることはもう無駄だ。
しかし、ここにきて愚鈍な僕の頭は、この物語の主役は僕でなかったことに気づく。
糸川さんがなぜか携帯を投げ捨て、ギタリストに向かって叫んだからだ。
「やめて!それ以上真実から遠のくのは!」
驚いたのは喋っているギタリスト以上に隣に座っていた僕だった。
「うそや知ったかぶりで記憶どころか歴史を修正していくことはもう許されません!」
息を荒げている彼女も、寝癖のままのギタリストも、来ているお客みんな髪がクシャクシャだった。
「見ることと知ること触れることはもともと全て一つです。そこから外れ始めたらあなたたちはきっと間違った道に行く」
みんな静まり返っていた。
「糸川さん、やめよう。そんなつもりじゃないよ、きっとあの人も。」
仲裁で立ち上がった僕の右手首からビニール袋がぶらさがり、DVDがその顔を出し始めた。
ギタリストはその作品がなにか気づいたようだった。
と、ピアノの前に座った唯一髪を整えた女性が、顔も振り向けないまま何かを呟いた。
「でもわたしたちみたいな記憶なんて素数や虚数でも埋め込めまなければ、いやいやに拳銃の引き金をひかされる時がくるかもしれませんよ」
そして我に返ったギタリストが床に転がった携帯を糸川さんに返すと、演奏が始まる。
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