後藤は待ちながら(201901ライブ用)


待ちぼうけという童謡がある。これは中国の守株待兎という韓非子のお話を基にしたものだ。

毎日せっせと働く百姓の前で、ある日ウサギがやって来たかと思うと切株の根っこに足をくじかせ死んでしまう。百姓は鍬を投げ捨て、その晩はウサギ鍋で腹一杯。ディナーのお味を思い出しながらほくそ笑んでる。「明日はまた別のウサギが来るやもしれんぞな、切株の前で待ってにゃならんぞな、もし」

翌朝、放っぽった鍬はそのままに、百姓はずっとウサギを待ち続ける。当たり前だがウサギはこない。一度起きたことが何度も起きるほど甘くはない。御察しの通り、耕しもしなけりゃ種も蒔かない百姓に食うものはない。チーン…という結末。

(韓非の意図とは外れるだろうが)今時のテスト問題ならば、このお話の言いたいことは「一度の幸運に溺れず勤勉に働きなさい…」という回答が無難なところだと思う。

ただし、この模範回答が現代の私たちに対応できていないとすれば、ウサギが来ようが来まいが我々はみな手を休めることもできないし、そのくせ(またはそれゆえに)相変わらずなにかを待ち続けていることだと思う。

 

今年の5月5日こどもの日に私は50歳になった。職場の男性後輩たちと後藤さん五十路記念と一緒に肉バルへと飲みに行った。5人のうち独身男性は私と20代一人。あとはみんな立派なパパで、彼らの待ち受け画面には娘とすみっコぐらしの2ショット。恰幅のいいパパが仕切る後藤会の話題はいつも私の恋人の不在についてだった。違う部署のオールドミスを勧められたり、新人女子の中では誰が一番タイプか尋ねたり、およそ私の名前が掲げられた会合とは思えないほど私のことを茶化した話題だったが、私は正直なんとも思っていなかった。この歳になると一緒に飲みに誘ってくれる子がいるだけで十分だったからだ。

「でも、後藤さん、50過ぎると婚活パーティーとかも規制かかりますよ。いけるパーティ限られちゃうよ。」

「え、そうなんだ。ヤバイよ後藤さん、どうすんの。」

「いや、私は結婚とかいいから」

「でも、ほら、恋人もいないじゃん、それにさ、将来的には子供欲しいでしょ?」

「そうですよ、子供産まないとさ、結局さ、生物学的に何しに生まれてきたんすかーって話で。」

3人のハズバンズに対して簡単な相槌を打つだけの20代は、私のためにTボーンステーキを全く上手に切り分けられずガシガシと皿とナイフが擦れる音を立てている。

「だからね、今はね、アプリ!こないだの辞任した新潟知事のやってた出会い系、話題になったおかげでいまパパ活女子から人妻まであらゆる女が溢れてるみたいだよ。後藤さん、金あるんだからさ。実家暮らしで金溜まってるでしょ」

「そそ、そしたらさ、一人か二人オレたちにも流してよ」

娘とサンエックスが存在しなければ、まったく「すみっコぐらし」したことなさそうな彼らの提案を私は困った顔で聞いていた。そのまま酔った勢いで携帯を奪われ、ダウンロードからアカウント登録、はたまた足跡をつけて可愛い女子大生にいいねを送るところまで何から何までやられてしまった。

おかげで翌日の携帯は「足跡ありがとうございます」のプッシュ通知の嵐だった。

女性が私に興味を持ってくれることはもちろん嬉しかった。でもそれ以上はなかった。わたしにはいまさら恋愛に踏み出すこともできないし、アカウントの消し方も分からないし。この歳になったらなんでも億劫だ、またはそれ以外の言い訳も考えつかない。ここ数年は後藤会のあとの遊びも辞退してしまい、20代となんとなく駅に向かう。そういうお店が苦手という彼の気持ちがなんとなくわかる気がするのだ。その後アプリは何ヶ月も起動することがなかった。

 

あっという間に半年が過ぎ師走に入ると、後藤会の忘年会があった。あいかわらず私を茶化し楽しんだ後は、3人はいつものように夜の繁華街に消えていった。私は20代の彼と同じフォームで豊橋方面行きを待っていた。自販機で缶コーヒーを買って一本彼らに渡す。ありがとうございますと応えた。年末の予定は私は何もない、とか、彼は九州に帰ると話していた気がする。突然彼から話を変えた。

「後藤さん、あのアプリまだやってるんですか?」

なんのことかわからず、戸惑ったが出会い系だと気づき驚いた。完璧に忘れていたからだ。

「いや、やってないし開いてもないよ。だって、なんか恥ずかしくてさ。」

「そうですか。もったいないな」

犬山方面の特急が通過していき会話が止まった。

コーヒーをすすると、彼はまた話し始めるのだった。

「大学からの彼女、6年間付き合ってたんすけどね。最近わかったんすけど、なんか、彼女の浮気がわかって、そんでまあ最近別れたんすけど。そんで結構ショックで。そんで、いろいろ話聞いてたらどうやらあのアプリ使って、相手と知り合ったみたいで。そういえば後藤さんもやってたなと思って、そんで聞きました。」

忘年会の間あれだけ黙ってて急に話し始めたからか、彼はまったく説明が支離滅裂だった。負けじと私もそうだった。

「いや、あの、私はその人の相手じゃないよ、もちろん」

「いやそうでしょ、わかってますよ。そうじゃなくて。なんか、そんで、なんとなく話しちゃっただけなんですけど。」

わたしは缶コーヒーを開けずに握りしめてホッカイロがわりにしていて、このまま開けなければずっと冷めないでいると信じているただのアホのようだった。

「あいつまだやってんのかな。アカウント検索してもいいですか」

言われるがままにというか、無理やり彼に携帯を奪われ、なぜかパスワードも軽々突破されてしまった。

「ああ、これだわ。この子です。うわー、結構顔いじってるわ。」

彼がどういう気持ちなのか私にはわからなかった。世代の問題なのだろうか。君の気持ちが分からないな、と酒気帯びた口から漏れてしまった。僕もなんですよね、たぶん。とコーヒーをすすりニヤニヤしながら携帯を私に返した。

そのまま彼は鳴海行きの急行に乗ってしまい、私はまだ缶コーヒーを握りしめていた。

 

翌日、最終出勤日に彼はトイレで昨日はお疲れ様でした、とだけ言った。お疲れと返事する私は目を合わせることができなかった。朝一番に彼女からの「足跡ありがとう」の通知が飛び込んできたからだった。

その日はざわついた1日だった。パソコンもただ光っているだけで、私よりエクセルの方がまだすこしは意志を持っているようだった。無意識でコーヒーを3回も買っていた。家に帰ると後期高齢の母がレトルトカレーを準備していた。爪を切りながらNHKをみる父の背中は曲がり切っていて、その背中越しにTVの上の永年勤続表彰が見えた。二人は気づかないうちにかなり歳をとっていた。洗い物を済まし歯を磨き風呂に入ると一連の流れのようにアプリを開いた。

「メッセージありがとうございます。50の中年ですがよろしくお願いします。真面目な関係の相手、探してます」 

「カタイカタイ笑。でも絵文字ないの楽かも。50でもいいよ、おじさんは好き。ホ代別2でいいんだけどどう?」

帰りの車中で届いたこのメッセージに動揺して、青信号に気づかず後続車にクラクションを鳴らされた。今思うと後輩のことは全く思い出さなかった。

実際勇気は出なかった、年末は九州の実家に帰るので会えないけど、と嘘をついた。

彼女はきっと他の男を物色しているのだろう。その合間に私と何気ない話を続けてくれた。でもやりとりが嬉しかった。

お互いの名古屋周りオススメの店の話が続いた。1日遅れの彼女の仕事納めの愚痴も聞いてあげた。後藤会のメンバー以外で唯一、年始の挨拶メールを交わした。

会社が始まって、先延ばしにしていた彼女との待ち合わせの日が近づいていた。

待ち合わせ場所は2人の住んでるとこからちょうどいい金山駅にして、彼女がオススメの喫茶店にした。

 

女性との待ち合わせは何年振りだろう。自覚はしてるつもりだが、心は少し弾んでいる。そのせいだと思う、スマートフォンを入れたカバンを電車に忘れてきてしまった。金山の駅員に相談すると、見つかり次第喫茶店に連絡してくれることになった。

私は予定より一時間早く、4時ごろに金山ブラジルコーヒーについた。だんだんと向こうの空に日が落ち始め、電車の音が遠くで聞こえた。プラットフォームで後輩と別れた時を思い出した。

予定の5時になったのだが彼女らしい人は来ない。店内から人がだんだんと減っていく。携帯がないから連絡を取ることができない。

遅れてるのだろうか、用事が入ってキャンセルに?それともからかってたのか。まさか、そんな。急に恥ずかしくなる。

心拍数が上がり体温が上がってくるのに意識だけが余計冴えてくる。50歳になって、なんでこんな。

コーヒーを飲んで、少し落ち着くべきだ、お代わりを注文しよう。店員を呼ぶ。いや、帰るべきかもしれない。

「あの、すみません、入店時にもお断りした通り本日イベントでして17時までなんですよ、なので・・申し訳ないんですが、お会計をお願いいたします。」

周りが見えていなかったが今日は演奏イベントの日らしく、すでに男女二人組がリハーサルをしている。刑事コロンボの俳優か、懐かしいな。ホッと気が緩んでしまいなんだか諦めがついてきた。もう閉店のようだ。本当に帰るべきなのだ。

どうしてこんな待ってしまったのだろうか。家に帰ろう。ちょうど彼らの歌詞が聞き取れた。

 

<そのうち僕ら忘れられちゃうよ、やすいものです。>

レジにむかい財布を開く。・・・そうかもしれない。こんな日も加齢とともに忘れて、そう、たやすく忘れてしまうのかもしれない。きっと彼女はもう私のことなど忘れている。たかだか2万円程度で50歳の冴えない男と体の関係をもつだなんて、割に合わないだろうし。2万円稼ぐなんて彼女からすれば容易いことだ、2万円程度じゃあ記憶に残る価値もない安い男か。

 

財布を開いたまま止まっている私に戸惑う店員はもう一度コーヒー代を復唱してくれた。私は顔を上げ店員に尋ねた。

「あの、コーヒー代とこのイベントの料金払うので、店内で待っててもいいですか?」

店員は少し驚いた。「実はこちらのお店で待ち合わせをしていて。連絡も取れないからここで待ちたいんです。」

「はあ・・・ただ、本日はイベントですので、、、たぶん相手の方は入ってこれないし困ってしまうのではないかと」

「いや、でもなんというか、私はここで待ってないといけないと思うんです。今日、待つのをやめたら、なんというか一生何も待てない気がする」

自分でも喋っている意味がわからなかった。店員の女子大生からすればもっと意味がわからなかったと思う。

心配して近寄ってきた背の高い男性(どうやら店長)は事情を聞き、私のことを少し眺めて指ぱっちんをした。許してくれたらしい。感謝の意を込めお礼をした。

 

その後1時間、2時間と待っている。彼女は来ない。金山駅からもカバンが見つかったという連絡は来ていないようだ。店の外では雪が降り始めている。意地でも待っていたいと思う。思いたい。いまはまたすこし自信がない。だが、待つのをやめて2万円の価値もない男になる自信はもっとなかった。

店内では先ほどリハーサルを拝見した男女2人組がいま演奏中だ。正確には曲間の語りの時間のようで、ギター担当が携帯電話を見ながらなにか観客に語りかけている。それにしてもこの朗読時間が長い。音楽を聴かせることを目的に集まったイベントで1曲分の時間を丸々喋っている気がする。最近はこういう演出は流行っているのだろうか。それとも彼らだけなのだろうか。携帯を見ながらというのも、はっきり言って失礼な気がするのだが。

驚きなのは観客の方だ。まるで鹿野苑に集まった鹿たちのようにだれも文句を言わず彼の話を聞いている。一種の宗教なのだろうか、私と彼らとはまるで言語が違うかのようにその話の意図がわからない。彼らは次の曲を待っていないのだろうか。

ピアノの前で姿勢を変えない女性のメンバーはついにあくびをしてしまった。

それにしても待ち合わせの彼女がここに入ってくるにしても危険すぎる気がする。いや、彼女はこれの信奉者で私を勧誘するつもりで。だとすれば私にとって危険すぎないか。

だんだんと過ちを犯したような気持ちがふつふつと舞い戻ってきて、ガタッと席を立ちあがった。

「あ、帰るんですね」

ピアノの女性が私に呼びかけた、、、らしい。驚いた。彼女は体をねじって私に目を向けている。

あいかわず男性の方は携帯電話を見ながらブツブツとなにかを語りかけている。観客には何も変化がない。なんなんだ一体。

「そういうのも、アリなんですか?」

「そういうの?」

「いや、彼は、まだ朗読中ですよね。それを無視して、私に話しかけてもいいんですか?」

「そうですね、仕方がないと思いました。彼も曲に移りたいと思っているんだと思います。でも書いちゃったら読まなきゃいけないし、書かなければいいのに思いついちゃうから。私も書いたからには読んだほうがいいと後押ししてしまいました」

「読む読まないについては、私には評価ができませんし何とも言えません。世代の問題でしょうか。ただ、率直な気持ちを言えば時間が勿体無いと思いますし、聞いて待ってる身にもなって欲しいとイライラしました。演奏して欲しいです。彼が読む内容についても、五十路の私を登場させて不甲斐なさと報われなさで御涙頂戴にしたいのか、この店内に連れてきて観客も演奏者も実在の人間を巻き込んだ作品という斬新な作りにしたいのか、まあ、それも古い作風ですがね。意図は何もわかりませんがはっきり言って不愉快です。ここで「待つ身」として私自身を作り上げられたのであれば、ひどく、そう、残酷だ。戻せるのであれば、こんな文章を読み上げずに次の曲に行って欲しいくらいですね。」

「たぶんどちらの意図もあり、それが最大限に活かされてはいないとはいえ、もう2、3の意図はあるのかもしれませんね」

「私をここに呼んで、ここに待たせ続ける理由はいったいなんだね。私が語っている間にもセリフが増え、彼は携帯をスライドし文章をよみあげ、次の曲が遠のいていくばかりだ。」

「あなたが怒っていることはよくわかりました。しかし、私にも認め始めていることはあるんです。いま彼の携帯の中で動き出している実在の人物と想像上のあなたとが、この喫茶店で侵食し繁殖し続けていて。彼がやっと携帯を閉じて私たちが家に着いた後、記憶の中では実在も想像も境目を失ってしまい、触ることもできない小さな小さな残像が形を変えながら殖え続けるんです。それは多分止められないのです。だからせめて、あなたが喫茶店から出ずに終わって欲しいんです、私としては。」

「それが、その答えが、わたしにとって何か救いにでもなるのでしょうか。私がこの場の人々の記憶に侵食する?ふた周り下の会ったこともない女性に恋い焦がれている私が。店から逃げようとしても引き止められ、会いに来る兆しのない女を待つ私が」

「救いになるかは、わかりません・・・。ただ一つだけわかることは。」

「わかること?」

「あなたが黙れば、曲が始まるということです。」